■ 2023-03-27
■ 先に次の本を何度も読んだと書いたが、
■ 当然、発行日以後に購入したものなので、
■ 読んだといっても、熟読玩味というほどではない。
■ まあ、そういうこともあり、もう一度考えてみるのもいいかと思う。
■ 編者、陳寿は、223~297年の人で、
■ 参考にした「魏略」は数年~数十年前に書かれている。
■ 三国時代の前は漢であり、日本列島は
■ とあり、邪馬台国は日本列島におけるひとつの国だった。
■ そして、通訳を介してだろうが、言葉が通じていた。
■ 陳寿は三国時代の後の晋の人で、
■ とあり、この文章は̪司馬懿が書いたものと思われる。
■ さて、かの国から日本に海を渡ってきた。
■ そして、帰って行った。
■ どの程度の船かというと、結構大きかったか、いくつかの船に分かれていた。
- 壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人、
- 送政等還、因詣臺、獻上男女生口三十人、
■ このほか、船頭とか乗組員がいた。
■ 護衛の人もいただろう。
■ 当然、食料、水、など人間以外のモノも載せていた。
■ 武器等装備、贈り物も、・・・
■ 重要なことは、かの国の人は帰らなければならない、ということだ。
■ 帰国までの間、船はどこに係留していたのか。
■ どの程度の日数だったのか。
■ 帰国までの間に船の修理なども必要だったかもしれない。
■ 食料等の補給、乗組員の宿泊など、いろいろあるだろう。
■ 船がなくなったり、、破壊されたり、装備品がなくなったり、占拠されたり
■ あるいは乗組員がいなくなったり、すると大変だ。
■ 帰国して報告が済んで役目を終えることができる。
■ 自分の命に問題なく無事に帰国できなければならない。
■ と、一応考えられる。
- 國國有市、交易有無、使大倭監之。
- 自女王國以北、特置一大率、
- 檢察諸國、諸國畏憚之、
- 常治伊都國、於國中有如刺史、
■ 卑弥呼のいた所の北に伊都国があった。
■ 逆に言えば伊都国の南に邪馬台国があった。
■ 交易をおこなう港をもつ伊都国が九州博多の近くであるとするなら、
■ 邪馬台国は近畿ではありえない。
■ 邪馬台国は伊都国との連絡、または行き来が容易にできなければならない。
■ 後の時代の京都と太宰府のような遠距離ではありえない。
■ 伊都国が交易経済政治の中心地であり、卑弥呼はそれより南の地に住んでいた。
- 名曰卑彌呼、事鬼道、能惑衆
- 宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞。
- 無夫壻、有男弟、佐治國
■ 卑弥呼は、宗教的権威者であり弟が実験をにぎっていた。
■ 次に、
■ かの国からの使者はどのような航路をとったのか。
■ 邪馬台国の人間またはよく知ったものが水先案内として乗り込んでいた。
■ ただ単に、かの国の人間が、案内なしで来たわけではない。
■ そして、途中「あそこがマツラです」などと説明しながら航海したものと思われるれる。
■ 「マツラ」に上陸したわけではない。
- 至末盧國、有四千餘戸、濱山海居、草木茂盛、
- 行不見前人、好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。
■ 「末盧國」に関する記述に長官や副官の名はない。
■ また、
■ 贈り物を全国に示し、魏を誇示させようとしている。
■ そんな荷物をもって、
■ こんな場所に上陸するはずはない。
■ ただ「末盧國」には監視所的役割はあったかと思う。
■ などで連絡し、受け入れ態勢を整えたと考えてよい。
■ かの国の使者にも、当方の国防監視体制を暗に示したことだろう。
■ まあ、そういう感じではあるが、
■ 実のところ、
■ かの国から来た人は自分たちの船で来たわけではない。
■ 邪馬台国からの船に乗ってきた。
■ 帰りも邪馬台国側が送っている。
- 壹與 遣倭大夫 率善中郎將掖邪狗等二十人、送政等還
■ 要するに邪馬台国は
■ とあるように朝鮮半島南部も勢力範囲であり、
■ 海洋国家としてあったとみることができる。
■ 朝鮮半島の南岸は、邪馬台国の北岸にあたる。
■ 他方、魏の国は大陸北部の国であり、朝鮮半島の帯方からの使者であったとはいえ、海を熟知していたのは邪馬台国側であった。
- 景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻
■ 卑弥呼が魏の国に助けを求めたかのようだが、
■ 魏の国に行けと言ったのは帯方の人間で、
■ 魏は対立する呉の国をけん制するための軍事的考えがあったと考えてもよい。
■ など武器を送っている。
■ 軍事支援ということか。
■ とにかく双方になんらか互いに利するコトがあってのことだろう。
■ 軍事同盟的関係としてとらえるのがよいだろう。