■ こんなところにルリビタキ。
2025-01-04 吹田市・アオジの小道
■ 何度も撮っているので、殊更ルリビタキを追いかけなくてもいいのだけれど、・・・
■ 鳥見散歩だ。
■ 行けば、行ったで、さまざまに場面がある。
■ さて、今日も、というところだが、・・・
■ その前に、また、ちょっと書いておこう。
■ 塚本は、跋おきまよふ、に次のようなことを書いている。
- 沖の石の讃岐以外は悉皆非代表歌、式子と定家とあと二、三人を除けば、他は一切凡作と、他人が眉を顰めるのも承知のうえで、小倉百人一首を謗り始めてから十年経つ。その思ひは年一年と募るばかりだ。
■ と、・・・
■ この一念、その信念には感心するが、だからといって、彼のこの、新撰小倉百人一首、を褒めようとは思わない。
■ この一念、その信念には感心するが、だからといって、彼のこの、新撰小倉百人一首、を褒めようとは思わない。
■ 百人一首の100番目の歌として定家が選んだ歌と塚本が選んだ歌を並べてみよう。
- ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ餘りある昔なりけり 順徳院 藤原定家・選
- おきまよふ暁の露の袖の上を濡れながら吹く秋の山風 順徳院 塚本邦雄・選
- 百歳や古き軒端のしのぶにもなほ餘りある昔なりけり 順徳院 橋本遊水・改
■ 彼は、
- ゆらりと、「おきまよふ暁の露の袖の上を」と五・八・六調の上の句を紡ぎ出した・・・なまじひの器用さではない.卓抜な言語感覚が、この二音の餘を生み出した。しかも、・・・
■ 彼は、
おきまよふ 5あかつきのつゆの 8そでのうえを 6
■ と読んだのだろう。
■ 私は
おきまよう 5あしたのつゆの 7そでのうえを 6
■ こんなふうに読んで、字余りは、袖の上を、の「を」だけのようにみえる。
■ 「なまじひの器用さ」「卓抜な言語感覚」ではないんじゃないのかね。
■ それに、百人一首の個々の歌ではなく、百人一首を一つの作品としてみるならば、・・・
■ 100番目の歌は、ももしきや、「百敷」の、100であるからこの位置にあるということだ。
■ 歌自体が優れているかどうか、とか、順徳院の一番いい歌であるとかは、あまり関係ない。
■ ということで「百歳や・ももとせや」にすればよかったのにな、と思う。
■ ・・・
■ 2025-01-06 追記
■ 塚本邦雄は、現代人だからということだろう。
■ 順徳院が生きた時代を考えた方がいい。
■ 日本語の、漢字は当て字と言うことで、漢字が先にあったわけではない。
■ あした、に漢字の、暁、を当てた、ということでしょう。
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